2017年8月8日 星期二

日本語文法の時間:「このリンゴが美味しそうだ」VS「このリンゴが美味しいようだ」

http://lang-8.com/142682/journals/776498


日本語学習者に(少なくとも韓国人には)、「~みたいだ(ようだ)」、「~らしい」、「~そうだ」等の日本語の推量表現は、その使い分けが複雑で微妙なことであるから、身に付けるのが非常に難しいことだと分かれています。例えば、韓国にはこれらの推量表現らを主題として扱っている語学学習書までいくつか出版されているほどです。(この他に、もう一つ代表的にややこしいところがある日本語文法事項は~すれば、すると、なら、したら、などの条件表現の使い分けでしょう。)



私も例外ではないので、これまでずっと「~ようだ」と「らしい」や「~そうだ」との類似点と差異について悩んできましたが、今日、比較的に明確で分かり易い説明を(まったく偶然に)読んだので特に目に立った部分だけを少し紹介しようと思います。



以下は「Heiko Narrog」による「Modality In Japanese:The Layered Structure of the Clause and Hierarchies of Functional Categories」の第10章から部分抜粋して訳したものです。ただ、原文の例文に示されている色々な言語学記号は省略しました。




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(1)「このリンゴが美味しそうだ」VS「このリンゴが美味しいようだ」


 a) Kono ringo-ga oisi-soo=da. (原文の英語訳:This apple looks delicous)

b) Kono ringo-ga oisi.i-yoo=da. (原文の英語訳:This apple appears to be delicious)


「~そう」と「~よう」が使われている上の文は、皆文法的な文であるが、これらの文は各々異なる脈絡と結び付いているし、異なる種類の結論を導出する。「~そう」の場合、誰かがリンゴを見て、その外観(色や模様)に基づいて結論をおくのが典型的な場合である。そして、(このリンゴが美味しい、という)この結論は、一般的な規則(赤くて大きいリンゴは美味しい)と特定なケース(このリンゴは赤くて大きい)から推論される。<つまり、演繹推論をいいます、minue622)


しかし、このような脈絡には、「~ようだ」は普通不適当な表現である。「~ようだ」が適当な表現になるのは、一般的な規則(美味しいリンゴはよく売れる)と観察される現象(このリンゴはよく売れている)から作られた仮説的な推論の場合である。<つまり、アブダクティヴな推論のことを言います、minue622)



<略>



(2)「この問題は難しそうです」VS「この問題は難しいようです」



a) Kono mondai-wa muzukasi-soo=des.u.

b) Kono mondai-wa muzukasi.i you=des.u.


a)のように「~そう」がつかわれると、話者が想定するのは「もし誰かがその問題を取り上げて解けようとしたら、解けることがむずかしいだろう」ということである。つまり、「~そうだ」は基本的に未来の物事の状態について言及している。


これに対し、b)のように「~ようだ」が使われると、「その問題が難しいという事実がすでに確定されている、例えば、誰かがその問題を解けようとしたが失敗した場合」などを意味するようになる。b)の場合、話者はその問題が難しいということについて根拠や証拠を持っているが、「~ようだ」を使うことによってその確度が絶対的に高いことではないということを示唆している。このように「~ようだ」は基本的に過去や現在の物事の状態に向かっている。



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抜粋翻訳はここまでです。

どうやら「金田一少年の事件簿」を第4巻まで再度読みながらそこで出てくるさまざまな推量表現を細かく検討しなければならないようです。

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